说一说 水、墨,光,色吧。

   按照油画的意思,水墨画,水彩画可以总称水画。在日本,有水绘一说。 日贸出版社还出过《水绘》的杂志呢。东有水墨,西有水彩。 文脉不同,有水则灵。水用得好, 画面有灵气。透明,细腻,含蓄,柔和,风流。 如好女人一般,令人温馨,令人陶醉。为水,我苦苦地追求,贡献了我的中年,二十五载。有《水墨画・ 水之技》《水之技を極める》问世。 水之技者,水法也。 水可以让墨和色的微粒,渗透,融合。缓缓地舒展,愉悦地舞蹈,艰涩地迂回,豪迈地激荡,卷起千层浪。如此神奇,水法也。 墨不碍色,色不碍墨。施南池先生的崇明方言又在耳边响起。 人们喜爱墨的单纯,深邃,古老,喜爱色的丰富,华丽,寒暖。 最后是光。25年前我把水墨画放进电脑,女儿文画名曰光墨画。电子的光。太超前了。今天看来还是超前。我感到有趣。你呢。

   画画,玩的是心跳。要心跳先得心静。这一静一动,心之道也。

 

 

 

  「水」、「墨」、「色」、「光」の話をしてみよう。

    まずは「水」について 。「油絵」のような概念でいえば、水墨画、水彩画は「水絵」と称せる。 日本には「水絵」という言い方があり、日貿出版社は「水絵」という雑誌を出した こともあった。東に水墨あり、西に水彩あり。文脈こそ違えども、水は活気をもた らす。 水を生かせば画面も生きる。透明で、きめ細やかで、含蓄があって、柔らか くて、風流である。まるで美しい女性のように、心を魅了し、陶酔させる。この「水」のために私は試行錯誤を繰り返し、25年もの歳月を費やしてきた。著書に「水墨画・水の技」「水の技を極める」がある。水は墨と色彩の微小な粒子を滲み 合わせ、融合させる。ゆっくりと広がり、時には楽しく舞うように、時には大胆に 激しく揺り動かして、千層もの波を巻きます。水の技はこのようにとても不思議で 興味が尽きない。 次に「墨」と「色」について。 「墨は色を妨げず、色は墨を妨げない」この施南池先生の言葉は今も聞こえてくるようだ。人々は墨と単純さ、味わい深さに魅かれ、色の豊かさ、華麗さを愛する。そして最後は「光」。25年前に水墨をパソコンに取り込んで、娘文画が「光墨画」と名付けた。電子の光、大変新しかった。今みてもやはり新しく、面白く感じる。

 絵を描くということは、心を揺さぶり動かされることこそ面白い。その心の「動」のためにまずは心を「静」にする。この静と動が心の道であろう。

 

空山如心   顧哲剛(雅号 大陽公)
空山如心   顧哲剛(雅号 大陽公)

美学散步-宗白华

 

    艺术是一种创造,所以要化实为虚,把客观真实化为主观的表现。清代画家方土庶说:山川草木,造化自然,此实际境也;画家因心造境,以手运心此虚境也。虚而为实,在笔墨有无间”(《天慵庵随笔》)。这就是说,艺术家创造的境界尽管也取之于造化自然,但他在笔墨之间表现了山苍木秀、水活石润,是在天地之外别构一种灵奇。是一个有生命的、活的,世界上所没有的新美、新境界。凡真正的艺术家都要做到这一点,虽然规模大小不同,但都必须有新的东西,新的体会,新的看法,新的表现,他的作品才能丰富世界,才有价值,才能流传。